「茶は薬用として始まり後飲料となる。シナに…


 「茶は薬用として始まり後飲料となる。シナにおいては八世紀に高雅な遊びの一つとして詩歌の域に達した。十五世紀に至り日本はこれを高めて一種の審美的宗教、すなわち茶道にまで進めた」。

 岡倉天心が英文で書いた『茶の本』の書き出しだ。これを米国で出版したのは1906年のことだったが、茶事について学ぶようになったのは、1880年東京開成所(現東京大学)を卒業して間もない時期。

 東京・蛎殻町にあった父の家に同居していた16歳の時で、月に数回、有名な茶人を招聘(しょうへい)し、正式に茶の湯を学んだ。うら若い妻の基子も一緒で、さらに弟の由三郎も茶室に同伴して稽古に励んだという。

 天心はその後も茶に関する文献を渉猟し、禅についても学び、修業を進めたが、座右には陸羽の『茶経』があったようだ。『茶の本』の最終章は「茶の宗匠」で、利休の生涯に触れ、最後の茶の湯の場面で終わる。

 茶の湯の歴史研究はその後も進み、戦後は茶陶に関する考古学研究が加わって、伝世品だけでは知ることのできなかった世界も開かれてきた。今、東京国立博物館で開催中の特別展「茶の湯」はその歴史全体を通観する試み。

 足利将軍家から始まって、名だたる武将や茶人が手にした茶湯道具が一堂に会し、近代数寄者まで至る。興味深いのは、明治維新の社会変動で大名家の茶道具コレクションが近代産業の創業者たちに移っていくこと。『茶の本』の精神とはまた別の世界だ。6月4日まで。