「菜の花の明るさ湖をふちどりて」(高浜年尾)…


 「菜の花の明るさ湖をふちどりて」(高浜年尾)。食用の菜の花がスーパーに売られていた。菜の花で思い出すのが、気流子が通っていた大学の近くにある神田川の土手に咲き誇っていた光景である。

 急斜面なので、落ちないように川沿いに柵が巡らされている。このため、どうしてあのように土手一面に咲いているのか不思議だった。人の手で植えられたのだろうか。それにしては、誰も収穫する気配がない。

 その疑問が氷解する機会があった。大学の名物教授の授業に、好奇心から潜り込んだ時のこと。国文学の泰斗だった教授がこの菜の花の話をした。

 教授によれば、土手は何もない殺風景な所だったが、ある日電車の車窓から、1人の男性が何かを蒔(ま)くように土手沿いを歩いているのを見掛けた。何をやっているのだろうと不審に思ったところ、翌年菜の花が咲き乱れているのを見て了解したという。

 教授は、ああいう無償の行為が尊いのだと話した。菜の花の次は桜の季節になってしまうので、誰も菜の花のことをすぐに忘れてしまう。だが気流子の記憶には教授の話が残り、菜の花を見るたびに土手の花のベルトを思い浮かべるようになった。

 「菜の花忌」というと、作家の司馬遼太郎の忌日として有名。しかし、同じ名の忌日の文学者がいる。詩人の伊東静雄で、昭和28(1953)年のきょう亡くなった。司馬に比べると、華やかさはないが、重要な詩人の一人である。