「早春賦とは風の音水の音」(田上頼子)。歳時記では…


 「早春賦とは風の音水の音」(田上頼子)。歳時記では、2月は「春」になる。実際にはまだ寒さが残っているので、季語の「寒明け」「早春」「春浅し」などがこの時期の句には使われている。

 とはいえ、季節は確実に移り変わろうとしている。稲畑汀子編『ホトトギス新歳時記』では「早春」について、寒さの中にも「空の色、木々のたたずまいなどに、どことなく春の訪れが感じられる」と述べている。

 冒頭の俳句は、やわらかな暖かい風が吹き、雪解け水などが流れる音に春を感じたのだろう。音に着目したのは、この句の秀逸な点である。

 視覚と聴覚とでは受ける印象も違ってくる。視覚は鮮明だが平板という感じがするが、聴覚だと情景を想像するから立体的なイメージがある。

 それは、活字で文章を読むのとそれを肉声で聞く場合との違いにも通じる。「百聞は一見に如(し)かず」ということわざがあるが、活字でのイメージと実際に会って話を聞くのとは違うことが多い。例えば文芸評論家の小林秀雄は、講義や講演をした場合でも、それを録音することを禁じていたという話がある。

 小林の『学生との対話』(国民文化研究会・新潮社編)によれば「小林の逆鱗(げきりん)にふれるかもしれない恐怖と戦いながら、密(ひそ)かにテープを回して」いたことで肉声が残った。今では貴重な資料だ。脳科学者の茂木健一郎氏が、小林の肉声を職人や落語家に似ていると書いていたことを思い出す。