「秋晴の外の明るさ部屋になく」(稲畑汀子)…


 「秋晴の外の明るさ部屋になく」(稲畑汀子)。昨日は久しぶりに秋晴れの日差しが見られた。空が青く、明るい。しみじみと秋の一日を実感。

 ノーベル文学賞の受賞者に、米国のシンガー・ソングライターのボブ・ディラン氏が選ばれた。作家や詩人ではなく、歌手ということで賛否両論が巻き起こっている。これを快挙とみるかどうかは別として、ノーベル文学賞の性格を改めて浮き彫りにしたとだけは言える。科学関連の賞に比べ、平和賞や文学賞は客観的に検証することが難しい。

 その業績への判断には、イデオロギーや主観的なものが入り込む余地が大きい。平和賞であれば、どうしても政治状況が反映され、しかも、その評価が変わりやすい。文学賞も、言語の問題、民族文化や宗教などが根底にあって評価しにくい。

 そのために文学賞は、受賞者がヨーロッパやアフリカ、アジア、アメリカなどの大陸ごとに持ち回りで選ばれたりする。その上、平和のメッセージ性があるかどうか、など文学性と関わりのない点が評価対象となる。

 文学をノーベル賞の対象にすること自体に無理がある。その意味で毎年、村上春樹氏が有力視されながら、受賞を逃しているのは仕方がないだろう。村上文学は、こうしたメッセージ性とは無縁だからだ。

 この際、文学賞に詩人賞、作家賞、歌手賞など部門賞を設けてはどうか。平和に貢献したかどうか、判定だけはしやすくなるに違いない。