『文明の生態史観』で知られた梅棹忠夫さんは…


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 『文明の生態史観』で知られた梅棹忠夫さんは、晩年の2006年11月、大手前大学で開かれた比較文明学会で、後学の川勝平太、小林道憲、安田喜憲の3氏からその史観を批判された。

 3人のパネリストに共通していたのは、文明は独自にではなく、交流によって発展したというもの。梅棹さんは時の流れを痛感し、批判に耳を傾け、賛辞を送って彼らの見解を受け入れた。

 小林さんの『文明の交流史観』には、紀元1、2世紀、古代ローマによって確保されたインドとの通商関係が描かれている。同じころ漢も南シナ海からマレー半島を経てインドに至る南海貿易ルートを確保。

 この海のシルクロードは陸のそれよりもっと繁盛していたようで、南インドの諸遺跡からはローマの金貨が大量に出土。各地にはローマ商人の居留地があり、彼らはさらに南シナ海を北上して漢まで達していた。

 古代南海貿易の実態を伝える史料の一つに、1世紀半ばにギリシャ語で記された『エリュトゥラー海案内記』がある。訳者の村川堅太郎さんの解説によると、インドで出土したローマ貨幣は帝政以降のもの。イエス・キリストの時代だ。

 ところで先日、沖縄県うるま市の史跡「勝連城跡」から古代ローマの貨幣が出土したと発表された。4世紀半ばのものという。いつ、どのように持ち込まれたか分からないが、東西文明交流の道はここまで来ていたのだ。