「実にわけがわからぬ」と福沢諭吉は『福翁自伝』…


 「実にわけがわからぬ」と福沢諭吉は『福翁自伝』(1899年刊、口述)で強い驚きを語っている。あの冷静な大村益次郎が、長州藩による米国、フランス、オランダの商船や艦船への砲撃(1863年)にひどく興奮している様子に接した時のことだ。

 砲撃事件から約1カ月後、江戸の地で福沢は長州から帰ったばかりの大村に会った。長州藩の行動を強く支持する大村は、福沢の目には別人のように見えた。

 頭のいい福沢のことだから「大村は攘夷過激派の仮面をかぶっているのでは?」とも考える。長州で攘夷の嵐が吹き荒れる中、大村も攘夷を支持しているように振る舞わなければ身の安全が保てないのだろう、との判断だ。

 演技かどうかはともかく、2人の間に見えるのは、傍観者と行動者の宿命的な距離感だ。慶応義塾の創設と運営ぐらいしか実務経験のなかった傍観者福沢と、クールで客観的な判断ができるにしても政治的人間に終始した大村は、違った種類の人間だ。

 2人は緒方洪庵塾(現大阪大学)の同門、大村が8年先輩だ。そう言えば福沢が、勝海舟とも険しい対立関係にあったことは知られている。

 政治の場面ではいつ何が起こるか分からない。それまでとは異なった人間に変容するしかない場合も多い。傍観者と行動者はタイプは違うが、どちらも常に世の中には存在する。福沢は現在、その肖像が1万円札に採用されている。