手前味噌になるが、昨日の小紙「フォト…


 手前味噌になるが、昨日の小紙「フォト・ギャラリー」掲載の写真に目が釘付けになった。4枚プロペラ、零戦と比べややずんぐりした胴体、小さめの風防など、旧日本海軍の局地戦闘機「紫電改」の勇姿である。昭和53年に久良湾から引き揚げられ愛媛県愛南町の「紫電改展示館」に展示される国内唯一の機体だ。

 紫電改は太平洋戦争末期、本土防空戦で戦果を上げた名機として知られる。ちばてつやさんが昭和38年から「週刊少年マガジン」に連載した漫画「紫電改のタカ」も大ヒットした。

 この紫電改を造ったのは、川西航空機株式会社。飛行艇の製造でも高い技術を持っていた。特に大戦中に開発された二式大艇は、名機の誉れが高い。

 終戦時、米軍が1機を持ち帰って調査し、その優れた性能に驚嘆したという。同社は戦後、新明和工業となって新しく出発するが、その優れた技術は、海上自衛隊の救難飛行艇US2に引き継がれている。

 このUS2こそ、今まさに防衛装備移転三原則に基づいてインドへの輸出交渉が行われている目玉製品だ。平成17年のパリの航空ショーでは、模型を展示しただけなのに、約20カ国から興味があると打診を受けたという。

 日本のロケット開発の父と言われる糸川英夫さんは戦前、中島飛行機で陸軍一式戦闘機「隼」などを設計していた。ものづくりの技術は、一朝一夕に生まれない。伝統・経験の蓄積があればこそである。