このほど83歳で亡くなった文芸評論家秋山駿氏は…


 このほど83歳で亡くなった文芸評論家秋山駿氏は「私」にこだわり続けた人だった。アリストテレスによれば、人間には、詩人・哲学型と歴史型がある。秋山氏は典型的な前者の批評家だった。

 詩人・哲学型の特徴は自己探求的で、世間や社会に対して超然としているところがある。昔の例では、小林秀雄がそうだった。

 関心は自身の内面にあるのだから、周囲と争う機会も必要もない。もちろん内面型といえども、批評家である以上文壇での付き合いは必要だ。多くの文学賞の選考委員も務めていたし、芸術院会員でもあったが、文壇政治とは無縁だった。

 その点では、2歳年少の先輩江藤淳とは正反対の処世だった。小林秀雄論で世に出て、その後も小林や中原中也を論じたが、他の文学者と論争することはなかった。

 若手に担がれることも多く、みこしのような振る舞いを見せることもあったが、そのことで文壇での地位を高めようとするのではなかったから、反発を買うこともなかった。仁徳というべきだろう。

 その秋山氏が『信長』(1996年)を書いた時、文壇ではだれもがビックリした。が、考えてみれば信長は、徹底して「私」を貫いた人間だったのだから、「私」重視の秋山路線とそれほど違っていたわけでもなかった。信長が、源頼朝や徳川家康、大久保利通といった根っからの政治的人間とは異質の人物だったと考えれば、それはそれで納得がいく。