40年以上前に、ジャーナリストでエッセイストの…


 40年以上前に、ジャーナリストでエッセイストの故入江徳郎氏の講演を聞いたことがある。内容はほとんど忘れてしまったが、担当していた朝日新聞のコラム「天声人語」を書く苦心を語っていたのだけは妙に覚えている

 当時は気流子も高校3年生で、入江氏がそれほど有名な人だとは知らなかった。もちろん、書いていたコラムも読んでいなかった。その入江氏がコラムを書くのに一日中頭を悩まし、時には地方支局に電話して何か面白い話題がないかを必死に聞いて回るという話をした

 それを聞いて気流子が感じたのは、それほど苦心してコラムを書いているのかということではなく、一日をかけて1本のコラムを書けばいいのか、意外と楽な仕事だなということだった。文章を書くことの大変さを認識していなかったのである

 歳月は流れ、気流子もまさか同じ仕事で苦しむようになるとは、ついぞ思ってもみなかった。担当してみると、ほかの記事を書くのと違って、朝からそわそわしながらテーマを見つけるのに四苦八苦する

 取材したからといって書けるものではない。書棚の書籍を取り出して何かいい材料がないか探したり、歳時記をめくっては引用できる俳句がないかと考えたりとテーマが決まるまでは落ち着かない

 はたから見ると楽そうでも、自分がやってみるとそうではないということ。改めて実感するこの頃である。