日本相撲協会の第11代理事長を務めた元放駒…


 日本相撲協会の第11代理事長を務めた元放駒親方の西森輝門(てるゆき)さんが急逝した。現役時代の魁傑は1975年初場所後に大関に昇ったが、けがもあって5場所で転落。平幕まで落ちて1年以上をかけて大関に復帰した。こうした返り咲きケースは魁傑だけ。

 2回の大関在位は9場所と短く成績もパッとしなかったが、土俵姿勢は真摯(しんし)で真面目そのもの。不成績で休場を問われても「休場は試合放棄と同じだ」と名言を発し、ついに初土俵から引退まで1度も休場せず937回連続出場と言行一致の人だった。

 優勝2回、殊勲賞など三賞10回。引退後、放駒部屋を興し横綱大乃国を育てた。野球賭博スキャンダルの後始末で2010年8月に就任した理事長在任は約1年半で歴代では最短。

 だが、嵐の中の1年半でもあった。11年2月に八百長問題が発覚すると、協会は公益財団法人移行が暗礁に乗り上げ、存亡の危機に立たされた。

 理事長として第三者機関の特別調査委員会を設置し、角界のタブーに踏み込んだ。春場所を中止し、夏場所を技量審査場所として無料公開。「うみを出し切る」ため非情に徹し「身内を切るのか」の批判にも、力士ら25人の追放を決断して問題収束を図り国技を守った。

 一昨日の時事通信(評伝「誠実さ貫いた苦労人」)は「相撲人生は苦難の連続だったが、信念を貫いた『クリーン魁傑』の角界への貢献度は計り知れないほど大きい」と称(たた)えた。