「末は博士か大臣か」という言葉がある。…


 「末は博士か大臣か」という言葉がある。かつては、博士が大臣並みに希少価値を持っていた。今や、博士号を持っていても就職先がなかなか見つからない時代になってしまった。

 明治44年2月20日夜10時ごろ、「文学博士号を与えるから翌21日に文部省に来るように」との郵便が夏目漱石宅に着いていたのを、下女が発見した。明日の話でもあり、当時漱石は胃潰瘍で入院していたこともあって、21日の授与式への出席は不可能だった。

 加えて漱石は、博士号には何の関心もなかった。後日送られてきた学位記は、弟子の森田草平が文部省まで出向いて返還し、漱石はこれで済んだと思っていたようだ。しかし文部省側の見解は、学位記を返すのは構わないが、漱石が博士になった事実は変わらない、というものだった。

 結局、文部省は「漱石は文学博士」、漱石は「博士号は不要」との立場で、双方認識が正反対のまま100年以上もすぎた現在に至っている。

 漱石の博士号辞退を反体制的ととらえる向きもあるが、近年の左翼作家が文化勲章や芸術院会員を拒否するのと同列に見るべきではないだろう。思想的背景は全くなかったと言ってよい。

 「博士号を与えれば喜んで受けるだろう」との前提で、「与えてやる」と言わんばかりの文部省のやり方に、もともと博士号に関心のなかった漱石が、特有の気難しさから癇癪を起こした、というのが真相のようだ。