「古い言葉を新しく使ふ苦心と古さを古さと…


 「古い言葉を新しく使ふ苦心と古さを古さとして生かす苦心、このやうな新旧の表現手段の対立の中にあつて新人はさらに一歩を出で、自然の宝をどんなに変化せしめて自分の宝となすかを考へる」。

 作家の横光利一が石田波郷の第1句集『鶴の眼』に寄せた言葉。この句集の刊行は昭和14年、波郷26歳の時だった。波郷は18歳の時、故郷の愛媛県松山から俳誌「馬酔木」の師、水原秋桜子を慕って上京。昭和9年、師の援助のもとで明治大学に入学した。

 波郷の句はそこで教えていた久保田万太郎教授の目に留まり、この逸材について横光教授にも語った。昭和30年、波郷は読売文学賞を受賞したが、選考委員として推薦の辞を述べたのも万太郎だ。

 波郷の俳句は師や先輩たちの間だけではなく、後輩の間でも語り継がれてきた。昨年はその生誕100周年。東京都江東区に石田波郷記念館があるが、現在、大規模改修工事で閉館中だ。

 その100周年記念展が同じ江東区にある芭蕉記念館で4月20日まで開かれている。波郷は俳句の韻文性を強調した。古典に並び立つ句を詠もうとした。

 「俳句の魅力は、一口にいふと、複雑な対象を極度に単純化して、叙述を節してひと息に表現することにあると思ふ」と波郷は語る。「俳句の凛然たる格調、重厚なる目方」を芭蕉に学んだ。秋桜子の表現を借りれば、「心境を完全に音調の上に移すことに成功」した俳人なのだ。