「日本の白さと形餅(もち)を焼く」…


 「日本の白さと形餅(もち)を焼く」(嶋田一歩)。地方に住んでいた時には、正月を中心に1月と言えば必ず餅を食べていた記憶がある。焼いたり煮たり、さまざまに工夫したものだが、調理法にも限りがある。そのため、月の半ばになると餅を見るのも嫌になったほど。しかし、東京に来てからはそれほど食べることが無くなった。

 これは、餅がスーパーなどで年中買えるようになったせいもある。しかし、それよりも、正月などの「ハレの日」の縁起物として食べられていたのが、そうではなくなったことがあるかもしれない。

 日本の歴史では、毎日のようにコメを食べられる豊かな時代はそうなかった。昔の庶民は雑穀を日常食としており、餅は特別な日のための貴重な食べ物だったのである。それが化学肥料や農業の近代化によってコメが大量に生産されるようになった。

 その結果、コメを貴重に思う日本の伝統的な習俗が廃れつつある。正月に餅を食べる意義や宗教的概念が忘れられ、ただ習慣的になっていったとみることもできよう。

 かつては、年末に一家総出で、餅を臼(うす)と杵(うす)でつく光景が当たり前のものだった。湯気の中で白い餅がみるみる成形されていくのを見て、存分に食べられる正月が待ち遠しく感じられたものである。

 日本の四季の行事には、旬の食べ物に関わるものが少なくない。その由来を忘れず感謝していく姿勢を今一度思い起こしたいものである。