天安艦の涙


韓国紙セゲイルボ・コラム「説往説来」

 悲運の天安艦(2010年3月、北朝鮮小型潜水艇の魚雷により爆沈した韓国哨戒艦「天安」)は昨日も泣いた。46勇士の犠牲を称(たた)える追悼行事に政府の高位層はまったく姿を見せなかった。国防部(省に相当)長官も、海軍の参謀総長もその場にいなかった。「護国英霊の犠牲を記憶し、西海(黄海)を守護しよう」という艦隊司令官の気落ちした声が聞こえるだけだ。祖国のために散華した英雄たちは、祖国の無関心にもう一度胸を叩(たた)いて嘆いているだろう。

 政府は既に「西海守護の日」の行事を行った以上、別途、参席する必要はないと言い訳した。しかし、先週行われたその行事も政府の無関心によって心が痛むだけの場だった。国軍最高統帥権者である大統領は今年も行事に参加しなかった。国防長官は西海守護の日を「恥さらしな南北の衝突を追慕する日」と貶(おとし)めた。安保責任者たちが北朝鮮の顔色をうかがっているという陰口が出るのは尋常なことではない。

 天安艦の英雄たちを嘲弄(ちょうろう)した勢力は今度の内閣改造でも躍進した。中小ベンチャー企業部長官の候補者に抜擢(ばってき)された共に民主党の朴映宣議員は米国の陰謀論を国会に広めた張本人だ。彼女は「修理中の米海軍核潜水艦と関連があるのではないか」と叫んだ。金錬鉄・統一相候補者は「北朝鮮の仕業と断定できない」と言った。天安艦事件5周年に海兵隊を訪れた文在寅大統領に向かって「軍服を着てショーするのか」というコメントをSNSに掲載した。そんな人間が国会の人事聴聞会に出てきて「不適切な表現を反省している」と遅まきながら頭を下げた。閣僚の地位を得るためにショーをしていると考える国民は少なくないはずだ。

 政府と与党は平和を定着させることが将兵たちの犠牲に応える道だと主張する。その通りではあるが、前提が抜けている。平和は堅固な安保なくしては砂上の楼閣にすぎないためだ。英雄たちの献身を冒涜(ぼうとく)しながら敵対勢力に微笑(ほほえ)みを送ることが平和ではあり得ない。

 朴炫柱・未来アセットグループ会長は一昨日、「危機は微笑みながら訪れる」という内容の手紙を社員たちに送った。経済危機に予め対処するようにという注文だろうが、安保危機に直面した韓国国民に送る要請のように聞こえる。偽装された平和は挑発よりも危険だ。微笑みにだまされれば、警戒が解けて備えすらできなくなってしまう。安保の災難はその隙を付いてやってくるのだ。
 
(3月27日付)

※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。