世界日報 Web版

スマートフォン寡婦


韓国紙セゲイルボ・コラム「説往説来」

 SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)の文字をコンピューターのキーボードで打っている時に、ミスしたことがある。

 英語に変換せずにそのまま打ったら、画面に「ヌン」(目を意味する)という文字が現れたのだ。不思議な感じがした。事実、現代人はSNSを通して世の中を見て疎通しているではないか。

  SNSは果たして人間の目に代わり得るだろうか。これだけは確かであるようだ。SNSなどの使用が普遍化して、SNSなどが人間の目を虜(とりこ)にしているという事実だ。昨年、ある保険会社が交通事故の現況を分析したところ、注意不足によって発生した保険事故の原因の61・7%がスマートフォンだった。スマートフォンを愛用する若者層が事故の大部分を占めたという。

  昨日、文化体育観光部(省に相当)の国民余暇活動調査でも、スマートフォンの威力は改めて立証された。昨年の韓国国民の総余暇時間の中で、スマートフォンをいじりながら過ごす時間が平日は40・3%、休日も33・4%を占めた。利用時間は女性よりも男性が長かった。退勤後、家に着くや否やスマートフォンを覗き見る夫の姿が浮かび上がる。訳もなく“スマートフォン寡婦”という言葉が生まれたのではないのだ。

  スマートさを自負するスマートフォンにも限界はある。人間に知識は与えるが、知恵は提供することができないためだ。知識の「知」は矢と口によってできている。口から出てくる言葉が矢のように早く伝わることが知識だという話だ。地球の反対側の情報まで瞬間的に接する近頃なので、過去の矢の速度に比べるどころではない。しかし知恵は違う。知識に自分の考えを加えた後に十分な熟成過程を経なければならない。指よりは頭とハートが必要なことだ。我々の生活で切実に必要なのは知識でなく、このような知恵だ。

 アップル社の取締役とグーグル社の会長を務めたエリック・シュミットは米ペンシルベニア大学の卒業式で、このように叫んだ。「コンピューターの電源を切りなさい。皆さんはコンピューターとスマートフォンを切って、周囲にいる人々を発見しなければならない」。スパート革命を主導した人物がオンラインの接続を切って、人々と直接接触しなさいと力説したのだ。

 “スマートな”スマートフォンから目を離さなければ、“愚かな”人間に転落するのだという巨匠の重大な警告だ。

 (1月30日付)

※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。