秋夕の茶礼床


韓国紙セゲイルボ・コラム「説往説来」

 伝統的な慣習を重視する家では、祭需(祭祀(さいし)用の供え物やその材料)に赤いトウガラシ粉を使わない。なぜか。鬼神(霊)を追い払う意味が込められているためだ。桃も同じだ。祭祀の食べ物だけではない。秋夕(チュソク)(旧暦8月15日)のような大きな名節に祖先に捧げる茶礼床(チャレサン)(祭祀用の卓)にも同じ原則が適用される。

 伝統の慣習を尊重しようとすれば、トウガラシの粉のことを覚えておくだけでは不十分だ。魚の干物は左、シッケ(米で作る発酵飲料)は右に置く「左脯右醯」、魚は東、肉類は西に置くようにする「魚東肉西」、魚の頭は東、尾は西に向けて置く「東頭西尾」などの原則も忘れてはならない。これにとどまらない。赤い果物は東、白い果物は西に置く「紅東白西」、左側からナツメ、栗、梨、干し柿の順に整える「棗栗梨柿」などもある。

 問題が一つある。漢字が大量に登場する“陳設”(供え物の膳を整える方法)が本当に伝統なのか、極めて疑わしいという点だ。政府の1960年代の刊行物や当時の新聞などに紅東白西などの用語が登場する点を指摘して、一角では“60年代以降に発明された伝統”だと皮肉る声もある。

 朝鮮中期の代表的な儒学者である栗谷(ユルゴク)・李珥(イイ)(栗谷は号)は『撃蒙要訣』で祭祀の要諦について「愛して敬えば、それで十分」だと言っている。「貧しければ、家の暮らしに相応しくすればよく、病気になれば体調を考えて祭祀を行えば済むこと」だとも述べている。正鵠(せいこく)を射た助言だ。精誠を込めれば、一杯の水でも立派な祭需になり得る。愛と尊敬の心がなければ、大変なご馳走も無駄になるだろう。伝統の根拠もはっきりしない状況で、無駄なことのために名節のストレスを増大させるべきなのか疑問だ。

 今年の秋夕(24日)が目前に迫っている。ある宅配アプリ業者が3年間の注文データを分析して昨日公表した内容が目を引く。昨年の秋夕連休の宅配料理の注文が前年比で平均56・1%増えて、秋夕当日には65・8%増加したという。今年の注文も少なくないだろう。インスタント食品で茶礼床を準備することが増えているというニュースもある。

 宅配料理の注文が増えているといっても、それが秋夕の茶礼床に上ると予断することはできない。しかし、その確率が高まると考えない法もない。そうであるなら、真水がましか、宅配の料理がましかということが問題になり得る。栗谷・李珥もなかなか判断がつかないだろう。

 (9月21日付)