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冷遇される陸士


韓国紙セゲイルボ・コラム「説往説来」

 今日の形態の陸軍士官学校(陸士)は李承晩大統領とジェームズ・ヴァン・フリート在韓国連軍司令官(米第8軍司令官)が建てた。韓国動乱の最中に赴任したヴァン・フリート司令官は連戦連敗だった韓国軍を点検しながら、根性のある将校の人材不足を把握した。

 彼は米工兵隊の物資を流用して士官学校を建てさせたことで、米議会の公聴会に呼ばれたりもした。戦争中だったが、厳格な学事管理を命令した。教材と教育プログラムは米陸士管理官だった2人の娘婿の助けを受けた。

 陸士の一部の生徒を太平洋を越えてウェストポイント(米陸士)に派遣して補強教育を受けさせた。視野を広げ、重い責任感を感じさせようとの配慮だった。大統領3人、国務総理3人、国防長官、合同参謀本部議長、陸軍参謀総長など70人余りが輩出された背景だ。

 (ソウル市蘆原区)泰陵の陸士は米国人の痕跡が今も残る。1958年3月、米8軍の将兵たちが19万㌦を集めた。韓国動乱に参戦した戦友たちの志を称(たた)え、将校輩出の揺籃(ようらん)になるようにと、韓国で初めての開架式図書館を建てて寄贈したのだ。

 最初の語学実習室も米国の援助で造られた。この過程でもヴァン・フリート氏の役割は大きく、運動場には彼の銅像が立っている。本館の入り口には李承晩大統領とヴァン・フリート将軍が陸士を設立したという銅板が置かれている。ヴァン・フリート将軍が“陸士の父”と呼ばれる理由だ。韓国を無視したケネディ大統領に朴正煕大統領を紹介して、その見方を正したのも彼だった。

 陸士の位置はかつて軍の作戦要地だった。日本統治時代に日本軍の支援兵訓練所がこの場所を占めていた。光復(解放)後には国防警備隊の第1連隊A中隊が置かれた。仏岩山(508㍍)と水落山(637㍍)があるためだ。今は地下鉄が通り、大きな道路が相次いで造られて交通の要衝地となっている。

 ソウル地域の宅地不足の代案として陸士の敷地が浮上している。18ホールのゴルフ場を含め45万坪だ。退役将官がゴルフ場に出入りするのを見たくないので、高層マンションで覆ってしまおうというのであれば、あきれた短見だ。教育機関はそのままにして、体力場(ゴルフ場)だけ活用するよう変更すれば済むことだ。教育の場を移転すれば、伝統と構成員の気概まで消えてしまう。かつて大統領を3人も輩出した陸士出身の将官たちが要職の人事から“仲間外れ”になっているというが、今度はその“自宅”まで失う羽目になった。

 (9月11日付)

※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。