帰省列車の切符


韓国紙セゲイルボ・コラム「説往説来」

 「厳しい寒さの中を、二千里の果てから、別れて二十年にもなる故郷へ、私は帰った」。中国の作家、魯迅の小説『故郷』の冒頭の文章だ。

 客地で暮らす子供が父母に会うため故郷を訪ねることを帰省という。よく、秋夕(チュソク)(旧暦8月15日、今年は9月24日)やソルナル(旧正月)のような名節に故郷の家に帰る大勢の人を帰省行列(里帰り)と呼ぶ。

 帰省という言葉には、故郷と父母に対する懐かしさが込められている。朝鮮中期の儒学者、李彦迪は社会に翻弄(ほんろう)されて江界に配流された時に書いた詩『夢驚』において、「帰省して母に会った夢に驚いて眠りから覚めると/母の姿がぼんやりとしてかえって残念だなあ」と詠(うた)った。秋夕やソルナルに家族や親戚が集まって座り、笑いの花を咲かせることは昔からのわが民族の名節の典型的な情景として定着している。客地で仕事をしたり勉強する人たちは誰でも名節に帰省して家族と再会することを夢見るのだ。

 帰省客が乗る列車を帰省列車と呼ぶ。詩人の呉世栄は『故郷は』で「故郷は誰か待ち遠しい/低い山の尾根があっての故郷だ。/…/その山の尾根越しに白い煙を吐いて走っていた午後2時/鈍行列車の汽笛があっての故郷だ」と詠んだ。彼は先週の南北離散家族再会の時に北側の従妹に会って『愛する従妹ジョンジュよ』という詩を書いて、直接手渡したのだという。「その時、あの日のように、今も/そこに立っている、母の実家の庭先の/あんずの木の咲き誇る花の下で/再会しよう」

 昨日、秋夕の列車乗車券の前売りが始まった。ソウル駅など、全国の主要な駅は故郷に帰る乗車券を購入しようとする市民たちで込み合った。毎年、秋夕の季節になると故郷に向かう自動車が全国の道路を駐車場にしてしまうので、列車で帰省する方が好まれるようになった。

 乗車券を買い求めるために並ぶ人々を見ると、帰省の意味について考えるようになる。韓国人の格別な家族愛と孝の思想がその傍らに流れる情緒であるのだろう。

 帰省は(故郷への)途につくことだ。哲学者の朴異汶は随筆『道』で、「道はわれわれの生を膨らませてくれる懐かしさだ。懐かしさの呼びかけに従って歩む私の足取りは生命力によって軽くなる」と述べた。軽い足取りで出掛ける秋夕の帰省が近づいている。

 (8月29日付)

※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。