サムルノリ40年


韓国紙セゲイルボ・コラム「説往説来」

 伝統的な打楽器のケンガリ(手で持つ小さな鉦)とプク(小太鼓)、チャング(バチで叩く鼓)、チン(鉦)をサムル(四物)という。古くからわれわれの身近にあった楽器だ。かつてどの村にもこれらの楽器があって、祝祭やクッ(巫女の儀式)が行われるとその中心を占めた。サムルで演奏する音楽やノリ(民俗歌舞)をサムルノリという。われわれが伝統音楽というと、最初に思い浮かぶのがサムルノリだ。その音を聞けば、自然に気分が高揚し肩を揺らすようになる。世界的に最もよく知られた韓国の音楽だ。ブリタニカ百科事典に普通名詞として出ている。

 サムルノリの歴史はそれほど長くない。建築家の金寿根氏が1978年、小劇場「空間愛」で多様な公演を披露する中、ナムサダンペ(男寺党輩=男の流浪芸人集団)出身のチャング奏者である金徳洙氏に「今の時代と環境に合う演奏会を企画してほしい」と提案した。金徳洙氏が何を舞台に出すか悩んでいる時、民俗学者の沈雨晟氏がサムル楽器で座って演奏するプログラムをつくるよう勧めた。“サムルノリ”という名前も彼が付けた。その年の2月28日、サムルノリの公演が初めて行われた。金徳洙氏は自叙伝『世界を打ち鳴らせ~サムルノリ半生記』の中で、「ケンガリ、チン、チャング、プクが消えつつある時代に、室内で演奏できるサムルノリとして再生して、興を引き継いでいく松明(たいまつ)を灯(とも)した」と回顧している。その後、世界巡回公演によってわれわれの音楽を外国に広く知らしめた。

 文学評論家の李御寧氏は『ウリ文化博物誌』でサムルノリについて「強烈なリズムに乗って、めまいがするような中で神がかり的な境地に引き込まれる」と述べている。「四つの心臓が鳴る音」であり、「原初の生命力を吸引するブラックホール」だというのだ。「サムルノリの打楽器が全部丸い形をしているように、その音と拍子も丸く丸く回る。それは小さな宇宙だ」

 サムルノリの元祖、金徳洙氏は1957年、5歳の年に父親に手を引かれてナムサダンペに入団した。彼は「首に母の白いクァンモク布(木綿の布)を巻いて、家を出た時の、そのときめきを今も心にとどめている」として「出立と同時に抱く懐かしさと期待感」だと語った。芸人の生活を後悔したことはないという。熱情的に楽しく生きてきたからだ。そんな熱情がサムルノリを生み出した。今日がサムルノリの初公演から40年になる日だ。

 (2月28日付)

※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。