丹東の情報戦


韓国紙セゲイルボ・コラム「説往説来」

 丹東はわが民族の歴史の舞台だった。1874年、満州の封禁令を解いた清は、2年後にそこへ安東県を作った。その名前に女真族の故郷・満州の平穏を願う心を込めたのか。安東が丹東に変わったのは中国の文化革命の時代の1965年だ。なぜ変えたのか。「丹」という文字は「赤い」という意味と共に「誠を尽くす」という意味も持つ。契丹の丹がこの意味だ。“赤い中国”を称(たた)えたのか、それとも契丹の形跡を残そうとしたのか。

 そこにはわが民族の歴史の遺跡が方々に散らばっている。丹東北方の鳳凰城。燕巌朴趾源(燕巌は号)がそこを訪れたのは封禁令が敷かれていた時だ。高句麗の鳳凰城を自分の目で直接見た彼はどれだけ胸を躍らせただろうか。

 「遼東は本来、朝鮮の故地だ。人々は粛慎、ワイ貊など、東夷族がすべて衛氏朝鮮に服属したことや、烏刺、寧古塔、フチュンが全て高句麗の地名だったことを知らない」と記している。

 東側の虎山山城。明式に新しく整えられたこの城の元の名前は泊灼城だ。高句麗の古城だ。唐の太宗の侵略軍に対抗した高句麗軍。泊灼城の城主、所夫孫は1万の歩兵・騎兵を率いて死をもって侵略軍に対抗した。唐の薛萬徹が率いる3万の水軍は鴨緑江に死体ばかり浮かべ、ついに泊灼城の高句麗の旗を奪えなかった。

 丹東は今もわが民族の歴史の舞台だ。北朝鮮のためだ。北朝鮮の対外交易の70%が丹東を通じて行われているという。鴨緑江を横切る中朝友誼橋。狭い橋を行き来する古い貨物車によって、疲弊した北朝鮮経済の実情は露呈する。2004年4月の龍川列車爆発事故の時、世界の記者たちが集まったのが他ならぬ丹東だ。そんな丹東では歴史上めったに見られない情報戦が繰り広げられている。

 こんなことを言う人もいる。「丹東のように工作員が、うようよいるところも珍しい」。北朝鮮の国家安全保衛部の工作員だけだろうか。米国や日本の工作員はいないはずがない。彼らはそこで血眼になって中国の対北制裁を見守っているはずだ。

 珍しいことが起こった。中国の公安当局が丹東で北朝鮮の工作員幹部を逮捕した。「祖国の代表」と呼ばれる人物なので大物だ。彼の自宅で現金3000万人民元と金の延べ棒も押収されたという。平壌の為政者は今ごろ何を考えているだろうか。もっと知りたいことがある。その事件を最初に詳しく報じたのは日本の読売新聞だ。日本の丹東情報組織が伝えた内容なのだろうか。

 (6月15日付)

※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。