林秀卿パラドックス


韓国紙セゲイルボ・コラム「説往説来」

 『統一の花』『韓国のジャンヌダルク』『従北議員』。林秀卿(イムスギョン)民主党議員につく修飾語だ。脱北者を「変節者」呼ばわりして手厳しい批判を浴びた後、表舞台に出なかった林議員が再び話題になっている。1989年の訪朝時、金日成を「アボジ」(お父さん)と呼んだと語った人々を名誉毀損で告発して、敗訴したためだ。

 林議員は韓国では『密入北女』扱いだが、北朝鮮では英雄だ。全大協(全国大学生代表者協議会、1987年に結成された全国的な学生組織)代表として単身、北朝鮮に入り、46日間滞在して韓半島に波紋を起こした。断食までして板門店を通りたいと主張し、分断以後初めて軍事境界線を越えて韓国に帰還した民間人にもなった。

 筆者と同じ大学院に通った林議員はいつも「平凡に暮らしたい」と言っていた。多くの人々が疑いを抱く訪朝時の行動については、「壇上の金日成主席に対しておじぎした後、あらっと思って、10歩ぐらい歩いてはおじぎをしながら住民たちに礼を示すなど、大韓民国の大学生代表として毅然(きぜん)と身を処した」と語った。

 林議員が北に及ぼした影響は絶大だ。22歳の女子大生が北朝鮮の各地を巡りながら行った自由な演説は、北朝鮮の人々の眠っていた自由意識を呼び起こした。その中に沈(シム)某氏がいる。金日成総合大学に在学中だった沈氏は「ジーンズにTシャツ姿で原稿もなく自由に演説する林秀卿を見て、南朝鮮に対する否定的な認識が根本から揺らいだ」と語る。その時から南社会に憧れ、ついに脱北し韓国で博士号を取って大学教授になっている。

 林議員は8・15光復節56周年平壌共同行事に参加するため2001年に訪朝した時は、北朝鮮の進行係を困らせた。北朝鮮の執拗(しつよう)な祖国統一3大憲章塔参拝要求を拒否したためだ。当然、死刑になると思っていた林秀卿が生きて再び訪朝したこと自体、北ではとんでもないショックだった。1990年に取材のためソウルを訪れた北朝鮮の記者たちが林秀卿の家を奇襲訪問して両親のインタビュー記事を送稿したが、後に粛清された。

 本人の意思とは関係なく林議員は統一の先鞭(せんべん)をつけた象徴だ。「アボジ」説は非常に無念だろうが、それも宿命だ。ちょうど林議員の母親がキム・ジョンウン(金正恩第1書記と同じ発音)さんで、母方の一番上のおじがキム・ジョンイル(金正日総書記と同発音)氏、母方の2番目のおじがキム・ジョンスク(金総書記の母親・金正淑と同発音)氏であるように。

(11月22日付)