森鴎外が亡くなったのは大正11年、…


 森鴎外が亡くなったのは大正11(1922)年、60歳の時だ。代表作は「阿部一族」とされる。この短編を含む『阿部一族・舞姫』(新潮文庫、平成24年)には、70ページに及ぶ「注」がついている。同じ文庫の平成12年版では8ページ。12年の間に9倍近くに増えた。鴎外の作品は最近の読者には読みにくい、ということだろう。

 24年版には「阿部一族」だけでも「肥後」「荼毘」「三途の川」「加藤清正」「新免武蔵」「いかい時が立つ」などに「注」がつく。

 「肥後」は熊本に決まっているし、「荼毘」は火葬のことだ。「三途の川」を見た人はいないが、おおよそどんなものか、一般には知られている。「加藤清正」も、織田信長、豊臣秀吉ほどではないが、まずは著名の人物。「注」は不要と思われる。

 「新免武蔵」は、宮本武蔵のこと。鴎外がなぜ「新免」としたのかは不明だが、これは「注」が必要だ。「いかい時が立つ」というのも、「だいぶ時間がたった」という意味がわからない読者も多いので「注」は当然。

 「この際だから徹底的に注を入れよう」というのが編集部の狙いのようだ。鴎外の作品を今後も残しておこうとする意図は了解できる

 鴎外の作品は、現代文で書かれてはいても、若者にとっては古文だ。それもそのはず、鴎外は幕末の文久2(1862)年生まれ。存命ならば150歳を超えている。古文に見えてしまうのは当然のことかもしれない。