李承晩の釣り場


韓国紙セゲイルボ・コラム「説往説来」

 李承晩(イスンマン)大統領は釣りマニアだった。韓国動乱が勃発した時、昌徳宮(チャンドックン)の池で釣りを楽しんでいた。(北朝鮮)南侵の知らせもそこで景武台(キョンムデ)(当時の大統領官邸の呼称)警察署長から聞いた。戦争が勃発して6時間が過ぎた後だった。

 急いで執務室に戻った大統領は正式な戦況報告を受けた。「閣下のご宸襟(しんきん)を悩ませ、恐縮至極に存じます」。申性模(シンソンモ)国防相の報告の第一声だ。彼にとっては人事権者の心気が国家の安危よりも急だった。蔡秉徳(チェビョンドク)陸軍総参謀長はもっと甚だしかった。ソウル北方の議政府(ウィジョンブ)で敵を撃退しているので、3日以内に平壌を占領できると豪語した。「白頭山に太極旗(韓国国旗)を立てる」と大口をたたいた。国軍の統帥権者がバラ色の報告に浮き立っているその時、麗しい青年たちが敵の砲火によって無残に倒されていた。

 戦争2日目に大統領は国民に対し談話を発表する。国連軍が参戦したので安心しなさいという話だった。国民たちは大統領の肉声を聞いて避難の荷物を解いた。しかし大統領は談話が発表される前に列車に乗って大田(テジョン)に避難し、ソウルは翌日敵の手中に落ちた。

 宣祖(ソンジョ)(朝鮮王朝第14代の王)は“朝鮮の李承晩”だった。(文禄・慶長の役で)日本軍の破竹の進撃に驚き明け方に首都・漢城(ハンソン)から逃げ出した。畑仕事をしていた農夫は避難する王の行列を見て「王様が我々を捨てられたので、民はこれから誰を信じて生きていけばいいのか」といって泣き叫んだ。国境まで逃げた宣祖は中国に逃げることばかり考えた。王が逃げた後、民は戦乱の惨禍に呻吟(しんぎん)した。

 最近、李大統領の釣り場をめぐり撤去論争が熱いという。文化財返還運動団体代表の慧門(ヘムン)和尚は一昨日、景福宮(キョンボックン)(朝鮮王朝の正宮)の慶會樓にある荷香亭(ハヒャンジョン)を撤去してほしいと訴訟を起こした。このあずまやは李大統領夫妻がしばしば釣りをした場所だ。これをめぐり「釣り場も遺跡」だという主張と「景福宮の復元原則に反する」という反論が伯仲している。

 釣り場は保存されるべきだ。権力者の趣味を称(たた)えようというわけではない。最高権力者が安保の実情を掌握できなければ、国がどれだけ危うくなり得るのかを見せてくれる安保教育の場として、これだけふさわしいものを探すのは難しいからだ。韓半島の周辺は荒れ狂う海だ。緩み切った安保意識を立て直さなければ、国の運命も一瞬で、釣られた魚と同じ身になり得るのだ。

 (7月18日付)

※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。