あとがき

 広島の山間部を走るバスに乗り、たびたび取材先を訪ねた。バスの窓の向こうに広がる緑豊かな風景を眺めていると、幾たびも、富山県の利賀(とが)村という山奥で過ごした私の小学生時代に心は飛んだ――。

 隣近所の子どもたちと山道を一時間かけて歩いて通った小学校。その学校では、かつて十八歳で臨時採用された父が、自分の弟たちを教えていたという。クラスは学校全体で二クラスしかない。私が三年になると、校長先生が会議で不在となる時は、「一、二年生の授業を見ててくれ」と言われたものだった。同級生もいない。音楽や体育の専任教員もいなかった。だから音痴になったんだ、と大人になっても言い訳しているが、春は川で魚を釣り、秋に学校をみんなでさぼってアケビ取りに出かけ、冬に雪山にうさぎを追いかけた思い出は、今では私の貴重な宝になっている。

 あれから三十年以上の歳月が流れた。子どもを包む環境も、学校の置かれた状況も一変してしまった。広島で取材を重ねながら、戦後教育はいったい何を獲得し、何を失ったのか――と、しばしば自問したものである。

 それでも、「いつの時代でも変わらないもの」がなくてはならないと思う。それは、丸毛(まるも)昭二郎氏の著書『先生はりつけ』(評伝社、一九八七年)に収められた「教壇からの手紙」(『中日新聞』初出)に端的に描かれている世界だ。

 「さよならは別れの言葉じゃなくて、再び会うまでの遠い約束。夢の居た場所に未練残しても心寒いだけさ……

 とは、女優薬師丸ひろ子主演の、ある映画の主題歌だが、卒業生を送り出すとき決まってこの曲を歌って、子どもたちと別れてきたことを今さらながら幸せだと思っている。

 子どもたちと共に心底、教室を『夢の居た場所』と思えなければこの歌は歌えないからだ。子どもに密着して泣き笑いを繰り返していける先生の多い学校には、会議や研究行事、提出文書で追われてヒステリックになっている教師は一人もいない。(中略)

 午後四時もちょっと過ぎればバタバタと子どもたちを学校から追い出して、ヤレ学年会だの生徒指導部会だのといった会議や研究会が始まる。その際コーヒーをすすり、駄菓子をつまみながら『子どもたちのいじめの傾向は……』などと読みもしない印刷物を広げて時間を浪費するのが相場で、その間に学校を閉め出された子どもたちの中から、いじめが培養されているのが関の山である。

 日ごろ、子どもたちに対して学校を『夢のない場所』にしておいて、卒業式の日だけに花や祝い言葉で夢を飾り立てたところで、子どもたちが学校をいとおしいと思うはずはない。学校を『夢の居る場所』にする時期は、今なのだ」

 この教師は、学校の理想を「夢の居る場所」と表現する。千五百人の生徒全員の名前を覚えて指導した元小学校長の丸毛氏は、学校を「子どもたちの天国にしたい」と思い、実践した。「地球上で一番清らかな広場」と、学校に対する思いを表現したのは、作家の井上靖だ。いずれも、未来の世界を担う子どもたちを大切に育む学校にかける期待の深さを感じさせるものばかりだ。

 学校の「理想」と現実のギャップに戸惑いながら、広島で二年間の取材をしてきた。

 『広島の公教育はなぜ崩壊したか』を著してからの取材もまた、心の芯まで疲れるような日々だった。

 一日の取材では終わらず、翌日もインタビューを続けた人。午後四時に初めて訪問した家では、話を聞くのに夢中になり、気が付くと時計の針が夜中の十二時を回っていた。そのまま泊まらせていただき、朝食を頂いたあと、取材を再開。話を聞き終えたのが、午後二時過ぎだった。暴風雨で交通機関がストップし、車で送迎してもらった所もある。子どもの「差別発言」で是非話したいと取材に応じながら、教頭という立場上、公になるのはやはり困ると後日、記事掲載を断ってきた人もいた。

 つらい話が多かったが、心温かい人たちばかりだったのが幸いだった。

 本書で紹介した元校長のセクハラ事件の取材をしたのは、ちょうど昨年の七夕のころだった。その取材も時間を大幅に超過してしまい、予定の便に乗るために広島空港へ急いだ。なんとか出発時刻に間に合い、ホッとして搭乗口に向かう私に、スチュワーデスが近づいて来て、にこやかな笑顔で「仙台の七夕祭りに持っていきますので、何か書いて下さい」と赤い短冊を差し出した。

 私はその短冊に、こう書いた。

 「広島の子どもたちが幸せになりますように」

 それが私の偽らざる率直な思いである。そして、そのことに少しでも役立ててほしいと願い、先の『広島の公教育はなぜ崩壊したか』を書き、続編となる本書をまとめた。

 広島で、また福岡で、取材の趣旨を理解し、インタビューに応じて下さった人たちに改めて感謝申し上げたい。広島の公教育は、心ある広島県民の熱意と努力で着実に正常化に向かいつつある。近い将来、短冊にこめた私の願いも実現しよう。

 納得がいくまで取材を続けることを認め、アドバイスを頂いた木下義昭社長兼主筆、可部道憲編集局長にお礼を申し上げたい。また、堀本和博編集委員、出版部の渡辺茂氏らの貴重なサポートもあった。

 学校を「世界で最も清らかな場所」とし、また学校が「夢の居場所」となるように努力する人たちに、この本が少しでも励ましとなれば、望外の喜びである。

  平成十二年七月

鴨野 守

プロフィール
鴨野 守●かもの・まもる
昭和30年富山県生まれ。金沢大学卒業後、53年に世界日報社に入社。社会部長、政治部次長等を経て、現在「サンデー世界日報」編集長。『天皇御巡幸』『血戦・沖縄』『「朝日新聞」の犯罪』(いずれも世界日報社)、『わだつみは蒼く澄みたり』(泰流社)の取材・デスクを担当。著書に『広島の公教育はなぜ崩壊したか』(世界日報社)。


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