増 記代司

桐島容疑者逮捕で語られない文世光事件と政治・メディアの不作為

それにしてもメディアの感度の低さに驚く。1974~75年の連続企業爆破事件で指名手配された「東アジア反日武装戦線」の桐島聡容疑者の一件である。神奈川県内の病院に入院中に名乗り先月29日に死亡した男のDNA鑑定で、ほぼ本人で間違いなさそうだ(各紙3日付)。それで朝日は「『事件』『逃亡』語らぬまま」(1月30日付)とするが、語らないのは新聞も同様だ。まるで一件落着のような報じようである。

事実を捻じ曲げ石橋湛山の空論を「現実的な手段」と持ち上げる毎日

鳥の目。高い位置から「俯瞰(ふかん)的に全体を見回して見る」ことをこう譬(たと)える。本紙の論説委員長を長年務めた外交評論家の井上茂信氏は新聞には鳥の目が必要だとしばしば論じていた。新聞は少なからず鳥の目を失い、一つの話題に「焦点化」し世論を煽(あお)りがちだからだ。通常国会が始まった現在、それはもっぱら自民党の派閥問題で、今ほど問われる日本外交はまるで枝葉のようだ。それで改めて鳥の目を思い浮かべた。

初の女性委員長 共産党の本質に触れない朝日、毎日と社説ない東京

かつて日本共産党は「泡沫(ほうまつ)政党」だった。1950年代は火炎ビン闘争(暴力革命)に明け暮れ、議会とは縁がなかったが、60年の反安保闘争で息を吹き返し、国会はもとより地方議会にも候補者を立てた。だが、当選ラインを遥かに下回る「泡沫」に終始した。それで考えついたのが人寄せの女性候補で、とりわけ地方選挙では盛んに擁立するようになった―。

靖国参拝した陸自幹部らを犯罪者扱いし関係断絶まで唱える朝日

年頭は平和と安全を祈るのが日本の習いである。筆者が住む街でも交通関係団体の責任者らが神社で安全祈願祭を執り行い、市長や警察署長らが玉串をささげた。地元紙の地域版にはそうしたニュースが並んでいる。伝統的な年始の風景で、もとより憲法を持ち出してとやかく言う記事はない。ましてや元日から大惨事を目の当たりにした2024年である。

創刊150年で「新聞社を超える」読売と「権力の監視」に執着する140年の東京

読売は今年、創刊150周年(1874年)を迎える。それに機に「読売行動指針」を新たに発表した(6日付)。そのキャッチフレーズが「新聞社を超える新聞社」としていたから興味を引かれた。

「天皇訪中」「全面講和」など社説の歴史的誤謬を全く反省しない朝日

「30年後の検証にも堪える」。これは読売の社説についての謳(うた)い文句である。世論におもねることなく練り上げていると言う。立派な信条である。ジャーナリズムはそうあってしかるべきだろう。が、現実はどうか。

今年の漢字 使命を逸脱した2023年の新聞には「虚」が相応しい

筆者担当の今年最終回は2023年の新聞を総括しておきたい。「今年の漢字」は「税」だそうだが、新聞には「虚」を推したい。元来の新聞の使命が虚しくなるほど逸脱していたからだ。その理由をざっと挙げてみる。

枝野氏との居酒屋談議でツッコミなく拍子抜けの産経 対照的な朝日

岸田文雄政権の支持率低迷に加え、自民党の派閥のパーティー券疑惑を巡る批判も高まり、政権与党の足場が揺らいできた。となれば、野党の動きが注目される。立憲民主党の枝野幸男前代表が産経紙上で「もう一回政権を取って、首相になるつもりでやっている」と気勢を上げている(10日付)。

最左翼で名高い新聞労連委員長らの言論による批判の域を超えた行動

朝日記者が琉球新報に移籍して話題になっている。月刊『世界』12月号で「絶望からのメディア論 ―なぜ私は朝日を辞めたのか」の一文を掲載し、朝日を痛烈に批判しているからだ。政治部記者かつ新聞労連元委員長(2018~20年)の経歴を持つ南彰氏である(10月末に朝日退社、現在は琉球新聞編集委員)。

「パックス・ロマーナ」に学ばず北の脅威に空想論を語るリベラル紙

先に文化勲章を受章した作家の塩野七生氏が読売紙上で世界と日本について縦横に語っている(22日付解説面)。イタリアに暮らす塩野氏は「海の都の物語」や「ローマ人の物語」などでローマやギリシャなどヨーロッパの歴史をつづってきた。その視点から今、世界平和に何が必要か、その指摘は示唆に富む。

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